盛岡の風景・水彩絵はがき 有限会社ジロー印刷企画

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ジロー印刷企画

【会社外観】

なぜ「ジロー」?社名の由来

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なぜ「ジロー」?社名の由来

「創業者のお名前が『ジロー』さんというんですか?」

お客様からよく訊かれる質問です。
『ジロー』さんの印刷会社。…まぁ、誰しもがそう思いますよね。

創業者の名前はタケオです。『ジロー』ではありません。
社員にも『ジロー』は一人もおりません。
では何故『ジロー』なのか?
話は昭和二十八年頃から始まります。

現在七十歳越えのタケオ(現会長)が、まだ青い青い小学生の時分。
五年生から卒業まで担任していただいた先生のお名前が真壁次郎。
「生徒と接していたい」と教頭昇任試験などを受けず、一教諭としての立場を貫き、生徒にも慕われるとても立派な先生でした。
当時のタケオ少年も真壁先生を尊敬しており、卒業したのち長じてからも、結婚して子供が生まれてからも、よく先生のご自宅を訪問。公私にわたって実に何十年ものお付き合いとなりました。

時はグッとくだって昭和五十五年頃。
教職を退いた真壁先生は、かねてよりの趣味であった水彩画へ本格的に取り組み、独学ながらもたいへん素晴らしい盛岡の風景画を多数描き始めました。
この頃にはタケオを始め同級生たちも一角の人物となっており、嘗ての真壁学級有志が集い、恩師の個展を開く計画を立てておりました。

昭和六十年、真壁先生の水彩画と、陶芸家・木村捨次郎氏(タケオと同級生)の陶器を併せ、師弟二人展として開催することとなりました。お二人の名前を取り「次郎企画」と名付けられたこの催しは三回ほど続けられ、いずれも大盛況。

昭和六十二年、四十五歳のタケオは「次郎企画」の名前を冠した会社を設立。ここに印刷会社「ジロー印刷企画」が発足した次第。

 

会社のオリジナル商品として真壁先生の水彩画を絵はがき化、売り出したところ大好評。市内に限らず、県内外に多くのファンが生まれました。

たいへん残念な事に平成23年2月、真壁次郎先生は88歳にて永眠されましたが、先生の水彩画絵はがきは皆様に広く親しまれ、今もって各県産品店やお土産屋さんで新たなファンを増やし続けております。

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